日々のキヅキ

石川県小松市のセレクト古本屋

もくてきの話

3月3日でKIZUKIBOOKSをオープンさせて

 

2年が経過しました

 

こうして継続することができたのも

ご縁があった皆様のおかげです

ありがとうございます

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少し原点に帰ってなんのために

私が「古本屋」をするのか

自答してみるので

ご興味のある方はお付き合いください

※古本屋論ではありません

 

昭和58年に岐阜の中心産業である繊維産業の

小さな縫製工場の息子として生まれました

 

小さな頃から自営で働く父や母や祖父を見て育ったため

「繊維産業」と「自営」にはなりたくないと思っていました

 

かといって中学・高校生になっても

なりたい職業などなく

 

なんとなく農業高校に入って

 

なんとなく自動車整備工の見習いをして

 

挫折して

 

なんとなく色々と働いてみて

 

結果、きがつくと自分も「繊維産業」の

営業マンになっていました

 

でもそれも、肌に合わず辞めてしまいました

 

そして今は

中古農機具屋と古本屋を営む「自営業」です

 

出会う上司や人に恵まれなかった

ということでもなく

社会不適合者のわたしは

ただお金を得るために

本心でもないのに

毎日、好きでもない人と会い話を合わせたり

面白くもない仕事をすることができませんでした

 

気になるのは

この社会の仕組みや

お金がどうやってうまれて

支払った税金がどう使われていて

持てるものと持たざるものがどう決められて

どうしてこんなにも自分や

人々を「お金」が振り回すのか?

 

これは高校生の時に読んだ

村上龍さんの『希望の国エクソダス

という小説に影響を受けていたからです

 

わたしはわたしを動かすもの自体が

わたしの選択や

衝動であって欲しいと

願っていました

しかし実際はそうではなく

それは何かわからないものによって

選ばされてやらされているよう

に感じていました

私たちは

生きているのではなく生かされている

とは思うのですが

人為的なのか生物の摂理的なのか

または

受動的なのか主体的なのかの違いです

 

人からニヒリストだと言われたこともありましが

今となってわかったのですが

そうなのではなくて

嘘のシステムや

嘘の社会では

 

何をやっても

好きになったり

熱中することができませんでした

 

本音と建前って何??

 

現実だと思って

みている世界は

本当にその通りの世界なのか

私には理解できませんでした

複雑に絡み合い構成されていると

感じたからです

 

読書や音楽や映画などをみている時間以外は

現実味を感じることができませんでした

 

その頃はただ生きづらい世の中でした

 

私たち人間が生きることに

おそらく

正解や正しい生き方や目的はありません

それを探しながらそれを経験していくことが

人生なんだと思います

 

 

ただ命を繋いできたという

人間や生物の奇跡の上に

わたしは生きていて

その命をどう使おうがその人の自由です

 

どう在りたいですか?

 

ご飯が美味しいか不味いならどっちがいいですか?

好きな服を着て街を歩きたいですか?

ダサい服でいいですか?

嘘か本当ならどっちがいいですか?

自分を好きか嫌いならどっちがいいですか?

楽しい時間は長く退屈な時間は短い方がいいですか?

可愛い(かっこいい)と思われたいですか?

ブス(ブサイク)と思われたいですか?

人に愛されたいですか?嫌われたいですか?

 

こういう質問を自分に問い続けます

 

両親や祖父やパートナーや友人に

愛され今日まで繋いできてもらったと

私が感じるように

子どもの未来へいい感じ

繋げたら嬉しいです

だから古本屋をやります