ゼロ年代からニジュウ年代への20年間 〜1980年代生まれのワタシ〜
2019年もあと1日で終わります
ワタシは今ふるさと の岐阜市で
移り住み、4年目の石川県での2019年の1年間と
2000年からの(ゼロ年代の始まり)の20年間を
ざっくりと振り返るブログを書いています。
あと1日で
2010年代が数字上で終わりを迎え
2020年代の始まりです。
よく10年単位で
60年代・70年代・80年代・90年代
など括り、時代観や世代観を表現します。
2000年(ゼロ年代の始まり)
まだ社会や国家という幻想に
希望や可能性を感じていた
1983年生まれ当時16歳の
無知で無垢な高校生だったワタシも36歳
20年間という時間は
バブル後の90年代から
失われた20年
などと表現されていたり
00年代・10年代の20年間も
感じ方は人様々だと思いますが
ワタシの内部と外部で
この20年間で
起きた出来事は
ワタシがかつて経験し想像した
時間や時代とは全く違うもので
歴史を見くらべても
これほどまでに情報の量が増え伝達が早く進み
加速度的に生活や状況が大きく変化していくとは
全くイメージしていませんでした
というかそもそも何も考えていないし
わかったようなつもりでいただけで
何もわかっていませんでした
今となれば
嘘だと思っていたことが本当になり
本当だと信じていたことが嘘っだたりして
わかりづらい世の中のように感じます
重要なのは
正しいことや
真実であること
ではなくて
間違いだとしても
嘘だとしても
自分を信じ愛し
自分で決める
という事を
問い
考え
続ける
コトではないかなぁ、と
感じています
ワタシはワタシの考えが
理想主義者的で幼稚で
子どもじみていて
現実不可能だと笑われたとしても
誰にとっても「平等」で「平和」的で
精神的にも物質的にも豊である社会が
健康的だと考えます
いわゆる「正解」はなく
好みで判断するしかないと考えています
なぜ、大人的で都会的で文化的で欧米的であることが
良いことなのかワタシにはわかりません。
資本主義が末期的になり
格差が広がる今
良い時代、良い社会って一体どんなんなんでしょう?
多くの人が生活が苦しいのは
それぞれ個人の問題なのでしょうか?
スマホの普及と通信速度の高速化により
インターネットの広がりがもたらした
社会の変化はとんでもなく
多くの人々がついていけるものではなく
システムと人間とのズレやノイズのようなものが
多くの社会問題を生みそれを
露わにする要因になったように感じます
起きている現状に憤りを感じるし
不安や危機感は付き纏いますが
今を生きることを全力で味わいながら
今とそしてこれからが持続可能で
平和で笑顔があふれ
愛する土地や物と
自分や子ども達がワクワクする未来に
繋がる行動をしていくコトが
アイデンティティーだと感じています
「希望」を持てなければ
死んでいるのと同じだと
ワタシは感じます
後から読むと恥ずかしいとわかっていて
恥晒します
本当はわかって欲しいですが
わけわかんなくても
最後まで読んでいただきありがとうございます。